2025年6月16日(月)
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聖書一日一章 アモス書 2章
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履き物一足のために 貧しい者を 売ったからだ。(6節)
神はアモスを通し、1章で、イスラエルの周辺の町や民の罪を責められましたが、ここでも続けて、モアブ人、南部のユダ王国、北部のイスラエル王国の罪を責められます。
様々な罪が挙げられていますが、「あれっ」と思ったことは、ほかの預言書で頻繁に出てくる偶像礼拝に対する非難がほとんどないことです。ここで非難されているのは、社会的な罪と不道徳です。ここでの何が悪かの基準は、世界のすべての良心的な人に共通する良心や道徳観で、だれにとっても受け入れやすいものでしょう。たとえば、「履き物一足のために貧しい者を売った」とか、「子とその父が同じ女のもとに通って」いるとか、祭司たちが不正に「取り立てたぶどう酒を神の宮で飲んでいる」とか聞くと、だれでも、「ひどい」、「そんなことは許されない」と思うのではないでしょうか。なぜだれもがそんなふうに思うのかと言うと、「人の道」に反しているからです。
とはいえ、「人の道」とは何かと深く考えると、わからなくなります。そんなものがあるのか、だれが決めたのか、人の生き方はみな違い、その人の自由ではないのか、だれかが良いとか悪いとか考えているだけではないのか、といった反論が返ってきそうです。
しかし、神を信じる私たちは、漠然とした「人の道」がなんとなくあるのではなく、神が、人はこのように生きるようにと定められた「人の道」があるということを知っています。それは、キリストが「わたしが道です」と言われたように、キリストが教え、自ら生きられた生き方です。私たちは、その道を歩みたいと思い、残念ながらも、しばしば踏みはずしてしまい、踏みはずすごとに、悔い、神に告白し、キリストの血によって赦され、新しい気持ちで再びその道を歩み出し、聖霊の助けを祈り求めながら進むのです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
