2025年6月19日(木)
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聖書一日一章 アモス書 5章
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義を、絶えず流れる谷川にように流れさせよ。(24節)
1節に、「イスラエルの家よ。私はあなたがたについて哀歌を歌う」とありますが、アモスは北部のイスラエル王国の滅びが近いことを示されて、その滅びを思いながら、悲しみの歌のつもりでこの言葉を語っています。
さて、神は22節で、「たとえ、あなたがたがささげ物をわたしに献げても、わたしは受け入れない」と言われます。というのは、人々は貧しい人々から搾り取っていて、ささげ物に搾り取った物も混じっているからです。そこで神は24節で、「公正を水のように、義を、絶えず流れる谷川のように、流れさせよ」と言われます。これは大変なことです。というのは、正しいことというのは、一つするにも強い意志と欲望を抑える自制心が必要です。貧しい人々から搾り取れば、いくらでもお金が入るのに、正しいことをすれば、それがなくなるばかりか、助けなければならない人もあり、労力も出費もかさむからです。一つするにも労力がいるのに、たくさんどころか、「絶えず流れる谷川のように」せよと言われるのです。
しかし、たとえば、千円を節約するのが大変でも、毎日貯金箱に百円入れるのが習慣になって、意識せずにやっていると、いつの間にか、箱一杯に貯まり、何万円にもなります。教会の献金も、千円でも、余裕のない家計からその分を出すのは、決意なしにできることではありません。それなのに、多くの礼拝献金や指定献金がささげられるので、いつも驚かされています。それは、一部の人が多くの献金をささげられたかもしれませんが、ほとんどは、主を愛する兄弟姉妹がささげることを、習慣にというか、信仰的ライフスタイルの一部としてしておられるからではないかと思います。思わされたときにささげることも良いことですが、ライフスタイルとしてしていることの強さは圧倒的です。「義を絶えず流れる谷川のように流れさせよ」というのは、そういうことではないかと思います。私たちが正しいことを、努力してではなく、ライフスタイルとしてするようになれば、どんなに良いでしょうか。気づかないうちに多くの正しいことをすることになるでしょう。そのためには、聖霊の力が必要です。祈りましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
