2025年6月28日(土)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    ヨナ書 4章

_____________________________________________________________________________

ヨナは怒って、主に祈った。(1節)

預言者ヨナは、神からアッシリアの都ニネベに宣教に遣わされ、逃げ、逃げる船で暴風にあい、海に投げ込まれることになり、溺れるところ、神が備えられた大きな魚に飲み込まれ、海岸に吐き出されて助かりました。

ヨナは悔い改め、再び神から遣わされ、ニネベに行き、この町はすぐに滅びると叫んだところ、王からしもべまで悔い改め、悪い行いをやめたので、神は壊滅的な災いを思い直されました。ヨナの宣教は成功し、ニネベの人々は救われ、神は喜ばれ、めでたしめでたしなのですが、1節には、「このことはヨナを非常に不愉快にした」とあります。なぜ不愉快になったのか、自分が予告した災いが起こらず、偽預言者と思われたからと考える人もいますが、そうではないでしょう。ヨナは彼らを敵として憎んでいて、滅んでしまえと思っていたので、警告して万一にも悔い改め、滅びを免れることになればまずいと思い、初回は逃げ、今回はその通りになってしまったのです。憎い人々を救うという、一番嫌なことをしてしまったことが不愉快の原因でしょう。

そこで、ヨナは、都を見渡せる所に座りました。神が都を滅ぼされるまで死んでも動かないと、座り込みをしたのです。そんなヨナに、神は、唐胡麻を生えさせ、日陰を作られましたが、翌日には枯らせ、ヨナがそれを惜しむと、ご自身が12万人以上の人間をどれほど惜しんでいるかを語られました。

この、ヨナと神とのやり取りは実に傑作です。ヨナは2節のように、神が「情け深くあわれみ深い神」だと知っているのですが、そのことが悩みの種でした。そんな神なら、ニネベの人々を救いたいと思われるでしょうし、悔い改めただけで赦されるでしょう。それが気に入らないので、逃げたり、座り込みをしたりしたのです。それに対し、神は、強硬手段を取ったり、なだめたり、ご自身の気持ちを体験させたりと、何とか説得しようとされたのです。それは、すごく仲の良い親子のけんかのようです。とくに、1節のように、ヨナは神に怒ったのですが、そんなことは、ほんとうに神と親しかったからできたことです。私たちもそれくらい神と親しくなりたいと思いました。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成