2025年6月29日(日)
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聖書一日一章 ミカ書 1章
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私は裸足で、裸で歩く。(8節)
預言者ミカは、1節のように、イスラエル南部のユダ王国のヨタム王、アハズ王、ヒゼキヤ王の時代に活動した預言者です。紀元前8世紀の後半で、イザヤと同時代の人です。「彼がサマリアとエルサレムについて見た幻である」とあり、北部のイスラエル王国と南部のユダ王国の両方で預言したようです。
さて、ミカは8節では、「私は嘆き、泣き叫び、裸足で、裸で歩く」と言います。預言者たちは、自分が語る言葉を自ら演技することがよくありましたので、ミカもこの言葉通り、実際に泣き叫び、裸足で、裸、つまり腰巻一枚で歩いたのでしょう。なぜそんなことをしたのでしょうか。6節では神が、「わたしはサマリアを野にある瓦礫の山とし、ぶどうを植える畑とする」と言われますが、イスラエル王国の都サマリアが廃墟となることを意味し、アッシリア帝国の侵略による破壊を予告しておられることが後の私たちにはよくわかります。11節では、「シャフィルに住む者よ、裸になって恥じながら通り過ぎよ」と言われますが、シャフィルの位置はよくわかりませんが、アッシリアは征服した地の民を捕らえて遠い所に連れて行くのが常でしたので、町の人々がアッシリアに裸同然で連れて行かれることを予告しておられるのでしょう。16節では、マレシャという町の子どもたちについて、「彼らは捕らえられて、去って行く」と言われます。ミカはそのようにアッシリアに裸で連れて行かれる人々の幻を見て、あまりにかわいそうで、自分も泣き叫びながら、裸足で、裸で歩かないではおれなかったのでしょう。
キリストも裸足で歩かされ、裸で十字架につけられました。自らその苦難の道を選び取られたのです。それは、最後の審判において、神の前に、裸足、裸で引き出され、泣き叫びながらさばきを受ける無数の人々のことを思い、あまりにかわいそうで、自ら代わりにその苦しみを受けられたのでしょう。
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