2025年7月3日(木)
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聖書一日一章 ミカ書 5章
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今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。(4節)
2節は、マタイの福音書で、救い主の誕生を示す星を見た東の国の博士たちが訪ねて来たとき、律法学者たちが救い主の生まれる町はベツレヘムですと答えるのに根拠にした預言です。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたからわたしのために、イスラエルを治める者が出る。」私は今回この預言を読んで、キリストが、ミカの当時、どんな人物として期待され、どれほど熱望されたのかを知りました。当時は勢力を拡大するアッシリアに各国が戦々恐々としていた時代で、北部のイスラエル王国は、すでに滅ぼされ、多くの人が遠くへ移住させられ、残された人々も脅えながら住んでいました。南部のユダ王国も、1節で、「包囲網が私たちに対して設けられた」と言うように包囲され、5節で、「アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき」と言うように、追い詰められていました。
ところが、その「イスラエルを治める者」が出ると、状況がまったく変わります。4節から6節で言います。「彼は立って、主の力と彼の神、主の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。平和は次のようにして来る。私たちは、七人の牧者、八人の指導者を立てる。彼らはアッシリアの地を剣で飼いならす。」その「イスラエルを治める者」が出ると、羊飼いとして人々を導き、彼自身の威力が地の果てまで及ぶこともありますが、人々を団結させ、立派な指導者を育てるので、民は俄然強くなり、アッシリアが攻めて来ても、かえって押し返すほどになり、人々は安らかに住まうというのです。
この預言から、キリストの時代に、キリストについて来た人々が、キリストに、王となって国を復興させることを期待したのもよくわかります。キリストは、そのような王となることは否定され、「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」ことを願われました。しかし、世界中に宣べ伝えられるべきは、罪の赦しだけではないはずです。キリストご自身がどれほど威力があるか、彼が羊飼いとなられるとき、人がどれだけ強くなるか、群れがどれだけ強くなるかを伝えたいと思います。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
