2025年7月10日(木)

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聖書一日一章    ハバクク書 2章

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正しい人はその信仰によって生きる。(4節)

ハバククは、ユダ王国で暴虐が横行し、彼自身も被害にあっているのに、神がそういう状態を許し、しかも助けを求める祈りに答えられないことで、神に疑問をぶつけましたが、神のお答えを物見やぐらで見張る気持ちで待ちました。

すると、4節の言葉が与えられました。「見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐではない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」「彼」とは神が暴虐な者をさばくために備えられるバビロン帝国のことで、ハバククが「悪者によってさばくのですか」と疑問をぶつけたその悪者のことです。「彼」については、たしかに「うぬぼれていて直ぐではない」と、同意されます。その上で、「正しい人はその信仰によって生きる」と言われます。正しい人は、今適切なさばきが行われなくても、「信仰」によって神の未来の正しいさばきを信じ、その「信仰」に基づく希望によって今を生きるのだということでしょう。

キリストはヨハネの福音書20章29節で、弟子のトマスに、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです」と言われました。そこでも、見てから信じるのではなく、「信仰」によって、見ていないことを信じることが幸いだと言われています。パウロはコリント人への手紙第一15章で、キリストが復活されたことを信じるように説得する上で、多くの目撃者を挙げていますが、それは信じる助けになりはしても、目撃者が多いからと言って、絶対的に確かなわけではありません。錯覚とか幻想とかもあるからです。キリストが復活されたことの確かな根拠は、キリストへの「信仰」、つまり、キリストが神のみ子であり、永遠に王として治める方だという「信仰」です。その「信仰」から、そんな方がずっと死んだままでおられるはずがない、必ず復活されたに違いないと信じることができるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成