2025年7月12日(土)

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聖書一日一章    ゼパニヤ書 1章

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すべてのものを大地の面から取り除く。(2節)

ゼパニアは1節で紹介されているように、ユダ王国のヨシア王の時代に活動した預言者です。エルサレムの破滅をかなり具体的に預言していますが、7節では「主の日は近い」、14節では「主の大いなる日は近い」と、世の終わりの神のさばきの日のように言っています。ゼパニアには、未来のことなので、エルサレムが破滅する時が世の終りのように思われたのでしょう。

さて、神は2節で、「わたしは必ず、すべてのものを、大地の面から取り除く」と言われます。その理由は、創造主なる神に対する冒瀆です。4節では、バアルという偶像の神の名が出てきますし、エルサレムにさえその神の祭司たちがいたようです。5節では、「天の万象を拝む者ども」とか、「ミルコム」という偶像の神に「誓いを立てる者ども」とかがいたと言われています。かたや、創造主なる神に対して人々は、「主は良いことも、悪いこともしない」などと言っていました。人々はそこまで創造主なる神に無関心でした。創造主なる神への信仰から出発したイスラエルの民であってもこんな状態ですから、ほかの民族は言わずもがなでしょう。

ですから、神が、すべてのものを大地の面から取り除くのは、さばき主として当然のように思われます。しかし、そんなに簡単ではありません。普通、裁判官は被告と他人であり、特別な関係はありません。しかし、神はさばき主である前に、造り主であり、親のような存在です。そんな神にとって、すべてのものを大地の面から取り除くことは、耐え難いことです。

神はノアの時代にも、「地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧に」なって、「すべての生けるものを大地の面から消し去る」と言われました。しかし、実際にはそうされず、ノアに箱舟を造らせ、人も動物も救われました。それを考えると、ここで「すべてのものを大地の面から取り除く」と言われても、きっと救う方法を考えておられたに違いありません。実際、ご自身のみ子を地上に遣わし、み子のいのちを贖いの代価とすることによって、すべての人を赦し救おうとされたのです

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