2025年7月17日(木)

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聖書一日一章    ゼカリヤ書 1章

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あなたが憤られて七十年になります。(12節)

バビロンから帰還した人々が、神殿の再建に取りかかったものの、その地の異民族の抵抗によって中断し、そのままになっていたところ、工事を再開するように呼びかけたのが、前のハガイとこのゼカリヤです。ゼカリヤは、ここで2つの幻を見ます。一つは、一人のみ使いが赤い馬に乗ってミルトスの木の間を進み、赤毛、栗毛、白い馬が従っている幻です。従っている馬たちもみ使いで、全地を見回って来て、全地は安らかだと報告しました。もう一つは、4つの角と4人の職人の幻です。4つの角は、世界の四方の大国、エジプト、ペルシャ、ギリシャなどで、4人の職人は、それらを打ち砕くみ使いです。大国の力は恐ろしいですが、それらを打ち砕くみ使いを神が備えておられるということで、これは大きな安心を与えます。

ところで、12節で、赤い馬に乗った人が神に、「いつまであわれみを施されないのですか。あなたが憤られて七十年になります」と言います。エルサレムが廃墟となったのが神の憤りの表れで、その憤りが続いているようなので、神の憐れみを求めているのです。しかし、なぜ神の憤りが続いていると思うのでしょうか。捕囚から解放され、祖国に帰還できたのではないでしょうか。それは回復ではないのでしょうか。そこで鍵になるのが、「70年になります」と言う70年の期間です。ゼカリヤは明らかにエレミヤの預言、「この地は廃墟となり荒れ果てるが、70年が満ちるときに回復する」を頭に置いています。私は前から、捕囚からの解放が、捕囚になってから47年目で、エレミヤの預言と合わないと思っていました。しかし、この箇所でわかりました。捕囚からの解放や帰還では、まだ回復になっていないのです。真の回復は、神殿が再建されることなのです。そして、ゼカリヤらの働きによって、70年目に神殿が完成し、真に回復し、エレミヤの預言が成就するのです。ここで、真の回復は、神殿の再建であり、神殿の再建は、礼拝の回復にほかならず、礼拝の回復こそ、神の民の回復だと思いました。私たちは毎週礼拝を持っていますが、もし災害や戦争や迫害などで、礼拝を持てなくなれば、どうでしょうか。私たちはどんなに弱くなるでしょうか。礼拝こそ私たちの力であることを思い、毎週持てることを感謝しました。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成