2025年7月21日(月)
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聖書一日一章 ゼカリヤ書 5章
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あなたは何を見ているのか。(2節)
ゼカリヤはここで2つの幻を見ます。一つは、空飛ぶ巻物の幻です。その大きさが、長さ20キュビト、幅10キュビト、つまり長さ9メートル、幅4.5メートルと言いますから、巻物と言うより、巨大な絨毯です。「盗む者はみな、一方の面に照らし合わせて取り除かれ、また偽って誓う者はみな、もう一方の面に照らして取り除かれる」とあります。ということは、その紙には、神の戒めが全面に書かれていたわけで、この幻は、神がご自身の戒めに従ってエルサレムから悪を取り除かれることを表しているのでしょう。
もう一つは、鉛のふたのエパ升に一人の女が入っていて、それを2人の翼のある女が「シンアルの地」つまりバビロン平原に運んで行ったという幻です。この女は、み使いが「これは邪悪そのものだ」と言っていることと、外国の地に運ばれて行くことで、エルサレムの悪、とくに外国の影響による偶像礼拝や異教的な習わしのことでしょう。すると、この幻は、神がそのような悪を国外に追放して、エルサレムをきよめられることを表しているのでしょう。
さて、空飛ぶ巻物の幻は、神が、ご自身の戒めと、それを破る者に対する処罰によって、人々をきよめられることを語っています。たしかに、戒めと処罰は、人を正しい人にするための普遍的な方法です。しかし、戒めと処罰で、人をほんとうに変えることができるかと言うと、そうではありません。処罰されないようにうまくふるまう小ざかしい人を作るだけです。しかし、神はそのことをよくご存知で、人をほんとうにきよめる道、ほんとうに良い人にする道を準備しておられました。言うまでもなく、ご自身のひとり子をこの世に遣わし、彼が代わりに罪を負って死ぬことによって、まず人の罪を赦し、同時に、聖霊によってその魂を生まれ変わらせ、聖霊がその人の内に住んで、新しくし続けるという道です。実は、ゼカリヤも12章以下でそのことを示されています。神は12章10節で、「わたしは、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆く」と言います。また、13章1節で、「その日、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる」と言います。
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