2025年7月24日(木)
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聖書一日一章 ゼカリヤ書 8章
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一つの町の住民はもう一つの町へ行く。(21節)
神はここでは、「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛している」、「わたしはエルサレムのただ中に住む」と言って、エルサレムへの思いを語られます。具体的に、未だに外国にいる人々の帰還、平和、住民の増加と長寿、豊かな収穫、信仰の高まり、外国人の求道などを約束されます。
さて、21節では、「一つの町の住民はもう一つの町へ行き、『さあ行って、万軍の主を尋ね求めよう』と言う」とあります。一つの町の住民が神を知り始め、もっと知りたいと思うようになり、みんなで隣町に行き、その住民に、いっしょに求めようと誘うというのです。ゼカリヤの時点では、神を求めるということは、神がそこに住むと言われるエルサレムに行くことでしたが、キリストが来られ、神がキリストに住んでおられるので、キリストを知ることで、神を知ることができます。つまり、キリストを知り始めた町の住民がみんなで隣町の住民にキリストを知るように勧めるということです。個人伝道ではなく、集団伝道です。そういうことが起こるというのです。
キリスト教の歴史を学ぶと、信仰がある地域に広まったのは、多くの場合、集団回心によったことがわかります。個人伝道、つまり信じた人が自分の家族や親しい人に伝えることは大切ですが、そういう伝道ではなかなか広まらないのです。とはいえ、集団回心は、私たちが起こせるようなものではありません。聖霊だけができることです。人間的な方法や手段はないと思います。聖霊が働かれるのを待つしかありません。それまでは、こつこつと伝道し、信仰をつないでいかなければなりません。忍耐が必要です。ヤコブはその手紙5章7節で言います。「見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。」神が聖霊の大雨を降らせられる時まで、忍耐をもって待ちましょう。
また、聖霊の働きによって集団回心が起こり、信じ救われる人が爆発的に増えるときには、それまでにキリストを信じている人が信仰の導き手として、あるいは、教会の核として用いられると思います。今から備えましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
