2025年7月28日(月)

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聖書一日一章    ゼカリヤ書 12章

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恵みと嘆願の霊を注ぐ。(10節)

この章の10節で、神は驚くようなことを言われます。「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために激しく泣く。」エルサレムの住民はだれかを突き刺して殺すのですが、神が彼らの上に霊を注がれると、目が開かれ、自分たちがしたことの間違いに気づき、何ということをしてしまったのだと悔いて激しく泣くというのです。しかも、彼らが突き刺したその者が実は「わたし」つまり神ご自身だというのです。神を突き刺して殺すなど、ありえないことです。もし本当なら、何ということをしてしまったのだと悔いて激しく泣くでしょう。

ゼカリヤの時代には、ありえないような預言でしたが、5百年後にキリストが現れたとき、その通りになりました。エルサレムの住民は、キリストについて「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫び、ピラトに十字架刑の判決を下させ、直接手を下さなくても実質的に釘を突き刺し殺しました。しかし、キリストは復活し、天に昇り、王座に着かれた上で、聖霊を、ペンテコステの祭の日にエルサレムの住民に注がれました。すると、彼らの目が開け、自分たちは正しい方を、しかも神の子である方を突き刺して殺してしまったことに気づきました。そして、何ということをしたのだと悔い、嘆き、ペテロに「私たちはどうしたらよいでしょうか」と尋ねました。聖霊は、私たちにも、目を開き、罪に気づかせ、悔いさせ、赦しを求めさせる嘆願の霊です。

同時に、聖霊は、ペテロに、「キリストを信じなさい。そうすれば、赦されて救われます」というメッセージを与えられました。そして、エルサレムの人々には、そんなひどい罪を犯してしまったが、神は憐れみ深い方であり、キリストは自分を殺す敵をも愛する方であり、キリストにすがれば、赦してもらえるという確信を与えました。聖霊は私たちにも、神は恵み深い方であり、キリストにすがれば、赦され、救われるという確信を与える恵みの霊です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成