2025年7月30日(水)
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聖書一日一章 ゼカリヤ書 14章
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主は地のすべてを治める王となられる。(9節)
12章で、神ご自身が突き刺されるという、キリストの十字架をほのめかす話があり、13章で、「罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる」と、聖霊の降臨をほのめかす話がありました。ここでは、「見よ、主の日が来る」と言い、エルサレムが国々に攻められる光景が描かれますが、5節で「私の神、主が来られる」とあり、急に完全に平和な世界が描かれます。12節からは、エルサレムを攻めた国々に対する神のさばきが描かれます。ハルマゲドンの戦い、キリストの再臨、最後の審判、新天新地の預言と考えてよいでしょう。
さて、6節から11節までの、新天新地の預言と考えられる箇所で、一つであることが強調されています。7節には「これはただ一つの日であり、その日は主に知られている。昼も夜もない」とあります。現在の世界では、昼と夜があり、光の部分と陰の部分があり、それは昼と夜だけでなく、すべてのことにおいて、陰の部分がありますが、実は、陰の部分があるということは、完全な神には似合わないのです。ですから、新天新地では、陰の部分がなくなります。また、9節には、「主は地のすべてを治める王となられる。その日には主は唯一となられ、御名も唯一となる」とあります。現在の世界では、キリストはまだ万物を足の下に置いておられず、反抗する勢力があり、争いがあり、混乱がありますが、新天新地では、キリストがすべてを治められるので、麗しい平和があります。また、神は唯一であり、み名も唯一ですが、神を否定する人も多く、神を信じてはいても、唯一の神とはまったく異なる神を信じる人も多く、様々な神の名が唱えられています。それに対し、新天新地では、すべての人が唯一の神を認め、すべての人が唯一のみ名を唱えるようになります。
このように新天新地ではすべてが一つになるような完全な調和が実現します。それとは対照的な、争い、対立、混乱に満ちた、調和のない現在の世界にあって、私たちは、新天新地の麗しい調和の世界をあこがれつつ、キリストを王としてあがめ、従うことによって、少しでも調和を求めていきたいと思います。
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