2025年7月31日(木)
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聖書一日一章 マラキ書 1章
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あなたがたのことだ。(6節)
預言者マラキは、その人物については聖書に何一つ書かれていませんが、8節に「総督」という言葉があるので、ペルシャ帝国の統治下にあった時代だと推測できます。また、神の祭壇にささげ物をする話題が出てくるので、すでに神殿が再建された時代であることがわかります。
さて、神は6節で、「もし、わたしが父であるなら、どこにわたしへの尊敬があるのか」と言われます。イスラエルの人々に向かって、ご自身が父のような存在であるのに、それにふさわしい尊敬を表していないと責められます。その具体的な事例として、7節以下で、動物のいけにえを神に献げるのに、足の萎えたものや病気のものなど、捨てるようなものを献げていることを挙げられます。しかし、人々の不敬虔はそれぐらいではありません。神は同じ6節で、「あなたがたのことだ。わたしの名を蔑む祭司たち」と言われます。神がご自身を尊敬していないと責められるそのおもなターゲットは、ご自身に仕える祭司たちなのです。彼らのことを「わたしの名を蔑む祭司たち」とまで言われます。人々に神への尊敬がないなら、教職者である祭司たちは、もっと神を敬うように教えるべき立場です。それなのに、彼ら自身が神を尊敬していなかったのです。
祭司のような神に仕える役職の人々、神のことを教える立場の人々は、敬虔な信仰を持っているように思われますし、自分でもそう思っているかもしれません。しかし、外面的には神に仕えていても、心においては神への恐れも神への愛も欠如していることが多いのです。ですから、もっと神を敬うように教えるとすれば、それは自分自身に対してなのです。
キリストはマタイの福音書7章3節で言われます。「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。」
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