2025年8月2日(土)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 マラキ書 3章
_____________________________________________________________________________
すべての国々は、あなたがたを幸せ者と言うようになる。(12節)
神は1節で、「見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。彼は、わたしの前に道を備える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、彼が来る」と言われます。神が「わたしの使い」と言い「わたしの前に道を備える」と言われる人物とは、だれのことかと思いますが、マルコの福音書1章2節で、この節を引用し、その通りにバプテスマのヨハネが現れたと言っているので、バプテスマのヨハネのことに間違いありません。後半の「あなたがたが尋ね求めている主」は、「主」と呼ばれていますから、バプテスマのヨハネではありません。人々が現れを求めている人物と言えば、メシア、キリスト以外にありません。キリストが現れたとき、人々は、キリストが求めていたメシアであるだけでなく、マラキの時代には想像もできなかったでしょうが、神と同じように「主」と呼ばれる方であることを知ったのです。
さて、神は、イスラエルの人々がご自身の言葉に従うときに彼らを祝福することを約束された上で、12節で、「すべての国々は、あなたがたを幸せ者と言うようになる」と言われます。神の祝福を受けられるだけみ言葉に従うことはほとんど不可能ですが、キリストは、み言葉に従うことができない哀れな私たちを、ご自身の血によって義人とみなし、神の祝福を受けることができるようにしてくださいました。ですから、「すべての国々はあなたがたを幸せ者と言うようになる」とは、私たちに対する言葉でもあります。
さて、一般に、どんな人が「幸せ者」と言われるでしょうか。裕福で好きなことができる人、健康で、毎日を快活に過ごしている人、仲良く笑いが絶えない家族を持っている人、自分の夢を追求して実現した人などでしょう。自分の国が平和であることも欠かせない条件でしょう。これらの条件をすべて満たすほんとうの「幸せ者」は、世界にいったい何人いるでしょうか。「幸せ者」になるのはほんとうに難しいことです。しかし、私たちはキリストによって神の祝福を受けて、この世では霊的な「幸せ者」に、後の新しい世界では、あらゆる意味での「幸せ者」になるのです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
