2025年8月7日(木)

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聖書一日一章    マタイの福音書 4章

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ヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた。(12節)

キリストが荒野で悪魔の試みを受けられたこと、ガリラヤ地方のカペナウムで宣教を開始されたこと、最初の弟子たちを募られたこと、ガリラヤ全域を巡って、神の国のことを教え、多くの病人を癒されたことを記しています。

さて、12節には、「イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた」とあります。ここでガリラヤ地方に退かれたことがガリラヤで宣教を開始されることにつながります。このことが、私は意外に感じました。というのは、ガリラヤのナザレのご出身だから、ガリラヤで宣教を開始するのは当然のように思っていたからです。しかし、キリストの初期の歩みをよく見ると、少し前からバプテスマのヨハネの所に来ておられ、悪魔の誘惑を受けられたのもそこですし、ガリラヤからすでに出ておられました。その時点で、どこで宣教を開始しようかと考えると、そこから近く、国の中心で、情報を発信しやすいエルサレムを選ぶのが普通です。それなのに、バプテスマのヨハネの逮捕を期に、ガリラヤに退き、そこで宣教を開始されたのです。

まず、バプテスマのヨハネが捕らえられたので、捕らえられることを恐れ、目立たない場所に退かれたのかと言うと、そうではないと思います。福音書のほかの箇所を見ると、キリストは、いずれ捕らえられ殺されることを覚悟しておられ、恐れてなどおられません。退かれたのは、まだその時が来ていないので、衝突を避けるためでしょう。私たちにも神の時というものがあります。次に、教えを広めるのに条件の良い場所を選ばれたのかと言うと、そうではないと思います。名人が道具を選ばないのと同様に、キリストは場所を選ばれないでしょうし、条件にかかわらず、人がいる所ならどこでも救いを伝えるべきだと思っておられたでしょう。私たちは地の利を気にしますが、キリストは悪い条件を良い条件に変えることのできる方です。むしろ、キリストは、ヨハネが捕らえられ、ご自身がガリラヤに退かなければならない不都合を、父なる神の導きと受けとめられたのでしょう。キリストはいつも父なる神の導きに目をとめ、その導きに従われます。都合の良いことも都合の悪いことも、神の導きかもしれません。神の導きに目をとめましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成