2025年8月11日(月)
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聖書一日一章 マタイの福音書 8章
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私も権威の下にある者だからです。(9節)
キリストが、不治の皮膚病を癒やされたこと、ローマ軍の百人隊長の中風のしもべを言葉一つで癒やされたこと、ペテロの姑の熱を引かせられたこと、弟子の志願者たちに覚悟が甘いことを指摘されたこと、ガリラヤ湖の向こう岸の悪霊につかれた人から悪霊を追い出されたことを記しています。
さて、百人隊長は、「おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒されます」と言った上で、9節で言いました。「私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士がいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。」「権威の下にある者」と言う意味は、上官の下にあって、その上官には絶対的に従う者だということでしょう。同時に、百人隊長は、彼の下にも兵士がいて、彼が命令すると兵士たちは絶対的に従うというのです。百人隊長は、そういう組織の中で、命令し絶対的に従わせる目に見えない力、「権威」を体感していました。その意味で、キリストには、万物を従える権威、すべての人に命令して絶対的に従わせ、人だけではなく、すべてのもの、中風という病気さえも、従わせる権威を持っておられると信じたのです。百人隊長がなぜそのように信じたのかわかりませんが、キリストの活動を、ローマ軍の調査活動で、よく見ていたからかもしれません。キリストは百人隊長のご自身に対する認識について、「イスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません」と言われました。
百人隊長は権威ででき上がった組織の中にいましたが、私たちは権威とは無縁の社会に住んでいて、権威というものを体験することがほとんどありません。民主主義の国で、国民が主権者ですし、軍隊もありませんし、親の権威も教師の権威もあまりありません。その点、パウロはローマ人への手紙1章5節で、自分の宣教の目的を、「御名のために、すべての異邦人の中に信仰の従順をもたらすため」と言います。すべての人にキリストの権威を知らせ、キリストに絶対的に従う人にすることを目的としているというのです。百人隊長は権威というものを知っていたのでキリストの権威を知りましたが、私たちは逆でキリストに出会って初めて、権威というものを知っていくのです。
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