2025年8月17日(日)
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聖書一日一章 マタイの福音書 14章
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信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。(31節)
ここでは、ヘロデ王がバプテスマのヨハネを殺害したこと、キリストが、話を聞きこうとやって来て夕方までいた5千人の群衆を、5つのパンと2匹の魚を分けて満腹させられたこと、弟子たちにガリラヤ湖の対岸に舟で先に行かせ、ご自分は水の上を歩いて追いつかれたことなどを記しています。
さて、キリストが水の上を歩かれたことは、人間にできないことであるのは言うまでもありません。水の上を、歩くのと走るのとでは、走るほうがまだ難易度が低く、専門家が計算したところ、100mを3秒ぐらいで走ることができれば、可能だそうです。100m走の記録が伸びていますが、現在の世界記録は9秒58で、とうてい及びません。ただ、人間の筋力の限界によって及ばないのであって、ある種のトカゲやカイツブリという鳥にはできるのです。水の上を歩くのはもっと困難です。筋力に限界がなかったとしても、その速さでは、体重を支えるほどの応力が得られないので、物理的にできないのです。ですから、キリストが水の上を歩かれたのを見て、弟子たちが「まことに、あなたは神の子です」と言ったのは正しい応答です。
しかし、神の子しかできないことかと言うと、そうではないように思います。というのは、ペテロが自分も水の上を歩かせてくださいと願い、許され、歩いたからです。怖くなって沈みかけ、キリストに助けてもらい、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。そう言われるということは、信じて疑わなければ、歩くことができるということです。ほんとうに神の子しかできないことなら、ペテロに許されなかったでしょうし、彼がそれを願うこと自体が冒涜です。そうではないのですから、ペテロも、また私たちも、神の力を信じきればできることなのです。信仰によって働く力はすごいです。
私たちは水の上を歩く必要はありませんが、私たちの人生は、石のように確かなものではなく、いつどんなことが起こるかわからず、まったく頼りなく、水の上を歩くようなものです。たとえそうだとしても、神の力を信じて疑わなければ、石の上を歩くように歩くことができるのです。
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