2025年8月21日(木)
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聖書一日一章 マタイの福音書 18章
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あなたの手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って
捨てなさい。(8節)
天の御国ではだれが一番偉いのかの質問に対するキリストのお答え、ご自身から離れさせるものを避けるようにとの訓戒、信仰の兄弟が罪を犯した場合に何回でも赦すようにとの教え、それについてのたとえ話を記しています。
さて、キリストは8節で、「あなたの手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろったままで永遠の火に投げ込まれるよりよいのです」と言われます。なんと厳しい言葉でしょうか。永遠のいのちを得るためには、つまずかないように、つまり、信仰から離れないようにしなければならない、手や足が信仰から離れさせる誘惑になるなら、切って捨てるの覚悟が必要だというのです。しかし、今日この個所を読んで、キリストの、信じる者たちに対する厳しい要求ではなく、ご自身を信じる者たちを一人でも失いたくない、つまずかせたくないという熱い愛だと思いました。6節では、「わたしを信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められるほうがよいのです」と言われます。これも、つまずかせる者に対する厳しい罰と取られますが、私は、信じる者たちを愛するあまり、失いたくない、つまずかせたくないという思いから出た言葉だと思います。
5節では、「だれでもこのような小さい子どもの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです」と言われます。小さい子どもを受け入れた人に対して、ご自身を受け入れてくれたように感じられる、小さい子どもへの愛情から出たお言葉です。12節と13節の迷った羊のたとえ話も同じです。迷った羊は、信仰から離れた人を指しています。キリストはそのような人がご自身に立ち返ることを願われるあまり、立ち返った場合の喜びを、「もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます」と言われます。キリストは私たち小さな者一人一人を愛してくださり、失いたくない、つまずかせたくないと熱く思っていてくださるのです。
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