2025年8月24日(日)
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聖書一日一章 マタイの福音書 21章
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ホサナ、ダビデの子に。(9節)
キリストが、ろばの子に乗ってエルサレムに入られたこと、神殿の構内で商売をしていた人たちを追い出されたこと、いちじくの木に命じてその通りになったこと、何の権威によって教えているのかの質問を受け流されたこと、父の頼みを拒否し、思い直して応じた兄のたとえ話、ぶどう園の悪い農夫たちが主人の息子を殺したたとえ話を記しています。
さて、エルサレムに入るキリストを迎えた群衆は、「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に」と叫びました。これは、詩篇118篇25節と26節の引用で、「ホサナ」はそこの「どうか救ってください」、ヘブル語ホーシーアーナをギリシャ語で音だけ表したものです。ですから、意味は「どうか救ってください」です。
人々はどんな意味で「どうか救ってください」と言ったのでしょうか。王を迎えたのですから、王が国を繁栄させ、国民を幸せにしてくれることを願ったでしょう。当時、国はローマ帝国に支配され、重税を課せられ、国民は神から祝福を約束された神の民だという誇りを失い、生きる目的を失い、迷える子羊のような状態でした。そこで、キリストがダビデ王のように国を独立・繁栄させ、誇りを持たせてくれることを期待したに違いありません。そういう意味で、「どうか救ってください」、ホサナと言ったのでしょう。
しかし、生きる目的を持って元気に生きることは、国の問題ではなく、一人一人の心の問題であり、信仰の問題であり、神との関係の問題でした。キリストは神の真理を教え、人間の踏み行うべき道とそれから外れている状態、罪を教え、罪を赦されて、神に結ばれる道を開かれ、その道に招いておられます。私たちはその意味で、「どうか救ってください」、ホサナと言うのです。
神に結ばれるなら、実際的な困難や危険にあったときにも、神に「どうか救ってください」、ホサナと言って、助けを求め、また助けを確信することができます。天に助けを求めることができることは、なんと幸いでしょうか。
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