2025年8月25日(月)

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聖書一日一章    マタイの福音書 22章

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聖書も神の力も知らないので、思い違いをしています。(29節)

キリストの、結婚の披露宴を催した王のたとえ話、ローマ皇帝に税金を納めるべきかという質問へのお答え、死後の復活の信仰の矛盾を突く質問へのお答え、何が最も重要な戒めかという質問へのお答え、預言されているメシアはダビデの子ではなく、彼が主と呼ぶ存在だという教えを記しています。

さて、23節には、「復活はないと言っているサドカイ人たち」とあります。サドカイ派の人々は死後の復活を否定していたのでした。ユダヤ人で神を信じる人々なのに、死後の復活を否定していたと言うのは、意外です。しかし、旧約聖書をよく調べてみると、死後の復活のことを明確に語っているのは、2箇所だけです。一つは、イサヤ書26章19節で、「あなたの死人は生き返り、私の屍は、よみがえります」とあります。もう一つは、ダニエル書12章2節で、「ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と永遠の嫌悪に」とあります。旧約時代の人々のおもな関心は、生きている間に、神にどう従い、どう祝福されるか、どう子孫や国が祝福され繁栄するかにありました。

そうだとすると、サドカイ派の人々が死後の復活を否定するのもうなずけます。しかし、キリストは29節で彼らに言われます。「あなたがたは聖書も神の力も知らないので、思い違いをしています。」彼らは旧約聖書を読んでいましたが、その真意を理解せず、神の力も知らず、大きな思い違いをしていると言うのです。旧約聖書は死後の復活のことはあまり語らなくても、神のすごい力は饒舌に語っています。そして、その神のすごい力を知れば、死後の復活は信じがたいことではありません。詩篇16篇10節は、「あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならない」と言います。この人物は、神の自分に対する熱い愛を確信し、自分をよみに捨て置かれることはないと信じ、神のすごい力を確信し、自分をよみから救い出してくださると信じています。実際に、神に愛されたキリストは神の全能の力によって復活されました。私たちもそう信じましょう。死後の復活の信仰は、神の熱い愛とすごい力への信仰です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成