2025年8月27日(水)

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聖書一日一章    マタイの福音書 24章

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わたしのことばは決して消え去ることがありません。(35節)

キリストはエルサレムでのある日、神殿の威容に感心する弟子たちに、どの石も崩されずに残ることはないと言い、世の終わりについて話されました。

さて、キリストは35節で、「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません」と言われます。私たちは、何かを言っても、忘れてしまいますし、反対のことを言ったりします。私たちの言葉はとても軽いものです。しかし、キリストの言葉は消え去ることがなく、天地が消え去っても消え去らないほど、永遠不滅のものだというのです。

たしかに、キリストの時代から現在まで、世界は大きく変わりました。当時の超大国ローマ帝国はとっくの昔に滅び、当時知られていなかった新大陸に建国されたアメリカが超大国になっています。エルサレムの神殿も、ローマ軍によって完全に破壊され、キリストが言われた通り、どの石も崩されずに残ることはありませんでした。現在のエルサレムの城壁は16世紀に再建されたものです。技術や生活の大きな変化は言うまでもありません。そんなに世界が変わっても、キリストの言葉は少しも変わらないというのです。

そのような時代の変化は大きいですが、世の終わりの天地が消え去る変化には比べものになりません。まったく新しい世界が始まり、自然の法則から人間の形態から言葉から何から何まで変わるでしょう。まったく想像できません。それでも、キリストの言葉は消え去らず、変わらないというのです。

これは私たちにとって重大です。というのは、私たちは、キリストの身代わりの死とキリストを信じる信仰によって、罪の赦しと永遠のいのちを保証されていますが、キリストの言葉に基づいているからです。一般に、国が変われば、法律や権利も変わります。国が変わるだけで、法律や権利が変わるのなら、世界が変われば、すべてが変わってしまうはずです。それなら、救いも新しい世界では通じないかもしれません。しかし、そんなことはないのです。天地が消え去っても変わらないキリストの言葉に基づいているからです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成