2025年9月8日(月)
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聖書一日一章 マルコの福音書 8章
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まだ悟らないのですか。(21節)
キリストが4千人を7つのパンと小魚で満腹させられたこと、パリサイ派の人たちからしるしを求められたこと、彼らのパン種に気をつけるように言われたこと、盲人を癒されたこと、ペテロがキリストの人格の本質を正しく表現したこと、十字架の死の予告と十字架を負うことの勧めを記しています。
さて、キリストは弟子たちと舟でガリラヤ湖の向こう岸へ渡られましたが、舟の中で、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種には、くれぐれも気をつけなさい」と言われました。弟子たちは意味がわからず、パンを忘れたことを言っておられるのかと思いました。意味がわかりにくい言葉です。「パリサイ人のパン種」は偽善のことでしょう。彼らはいつも、善い人だと見られたく、そのように装っていたからです。「ヘロデのパン種」は、ヘロデ王が兄の妻を奪い、非難したバプテスマのヨハネを殺害したことから、姦淫や殺人のことでしょう。「パン種」にたとえられたのは、パン種がパンをふくらませるものなので、「広まりやすい」という意味を込めるためでしょう。
よくわからない弟子たちは、パンを忘れたことを責め合い始めましたが、キリストは、彼らをたしなめ、5千人に5つのパンを配ったとき、いくつのかごがいっぱいになったか、4千人に7つのパンを配ったときはどうだったかと尋ねられました。弟子たちがすかさず、「12です」、「7つです」と答えたところ、まだ「悟らないのですか」と言われました。
ここで、キリストが、いくつのかごがいっぱいになったかと尋ねられたのは、神を信じて求めるなら、パンはいくらでも与えられるということを悟らせるためでしょう。信仰によってパンがいくらでも与えられるなら、弟子たちが気にしていた、パンを忘れたことなど、どうでもよいことでした。また、弟子たちは、かごの数をすかさず答えましたが、それもどうでもよいことでした。大事なことは、信仰によってパンがいくらでも与えられるということを悟ることでした。私たちも、どうでもよいことは気にするのに、神を信じて求めるなら、必要は満たされるということを忘れてはいないでしょうか。
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