2025年9月13日(土)
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聖書一日一章 マルコの福音書 13章
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話すのはあなたがたではなく、聖霊です。(11節)
キリストが地上生涯の終わりにエルサレムに入られてから、十字架につけられるまでの間に、弟子たちに話された世の終わりまでの預言です。
さて、キリストは9節で、弟子たちが迫害を受けることを予告されます。迫害というと悲愴な印象を与えますが、キリストは苦しみとしてではなく、「そのようにして彼らに証するのです」と、伝道の機会として言っておられます。キリストは10節で、「福音が、すべての民族に宣べ伝えられなければなりません」と言われ、この時点で、全世界、全民族への宣教と救いを考えておられました。しかし、それは容易なことではありません。どの民族も何らかの宗教を持っていますから、すっと受け入れられるはずはなく、迫害が必須です。それは厳しい現実ですが、考えようによっては、迫害されても伝えようとすることが、その信仰の真実であることの証になるかもしれません。
さらに、キリストは10節で、「何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい」と言われます。私たちは話そうとするとき、何を話そうか、どう話そうかと、いろいろ考えます。とくに、大事な話のときや偉い人の前で話すときは、緊張し、あれこれ考えます。まして、反対する人や責める人の前ではなおさらです。それなのに、キリストは前もって考えるのをやめるように言われるのです。その理由として、「話すのはあなたがたではなく、聖霊です」と言われます。前もって考えると、自分の考えをまとめてそれを話すことになり、聖霊が話されるのを妨げるからです。話すことを前もって準備せず、聖霊にまったくゆだね、その場で聖霊が導かれるまま話すようにというのです。
それでは、だれかにキリストのことを話すときに、あるいは教会で人々の前で話すときに、準備しないほうがよいのでしょうか。そんなことはないと思います。聖霊の思いではなく、自分の考えを話すことが問題ですから、準備するときも、聖霊の導きにゆだねればよいと思います。聖霊にゆだね、祈りつつ、何を話そうか、どう話そうかと考えることです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
