2025年9月14日(日)
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聖書一日一章 マルコの福音書 14章
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人の子は、書かれているとおり、去っていきます。(21節)
キリストの十字架刑の二日前から前夜までの出来事、最後の食事、ゲッセマネの園での祈り、逮捕、大祭司の下での裁判、ペテロの失敗を記しています。
さて、キリストは食事の席で、「あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります」と言われました。敵対者が売るのなら、あるいは赤の他人が売るのならまだしも、弟子でありしかもキリストが信頼して十二人の一人とされた人が裏切るのは、ひどすぎます。キリストはどんなにつらかったでしょうか。この世は裏切りが多く、程度の違いはあれ、だれしも裏切られるつらい経験をしているのではないでしょうか。
それを聞いて弟子たちが次々に、「まさか私ではないでしょう」と言い始めました。なぜ、自分は裏切るつもりがないから、ほかの弟子のことだと考えなかったのでしょうか。やはり、キリストが十字架につけられて死ぬことを予告しておられたので、どの弟子も不安で、逃げたいという気持ちがどこかにあったのではないでしょうか。そんな彼らは正直でした。ペテロはこのあと「たとえ死ななければならないとしても、決してあなたを裏切りません」と言いますが、その数時間後に、キリストのことを知らないと言ってしまいます。私たちも追い詰められると裏切ってしまう弱い者です。しかし、幸いなことに、たとえ裏切っても、キリストを信じる信仰によって赦されます。
すると、キリストは、「わたしと一緒に手を鉢に浸している者です」と言ってユダであることを示した上で、「人の子は、自分について書かれているとおり、去って行きます」と言われました。キリストは旧約聖書の救い主の預言の通りに行動しておられ、弟子の一人が裏切ることもゼカリヤ書11章に書かれているので、踏まなければならない過程と受けとめておられ、怒りも恨みも持っておられません。「裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです」は、ユダに対するののしりではなく、深い憐憫の言葉です。私たちが裏切られることがあっても、それは神のご計画によることで、必ず私たちの益になります。むしろかわいそうなのは裏切る人です。
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