2025年9月17日(水)

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聖書一日一章    ルカの福音書 1章

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私の主の母が私のところに来られるとは。(43節)

パウロの協力者で医者のルカがテオフィロという人のために書いた福音書です。ここでは、祭司ザカリヤの不妊の妻エリサベツがみ使いの告げた通り身ごもったこと、ガリラヤ地方のナザレという町の処女マリアにみ使いが神の子を身ごもることを告げ、その通りになったこと、マリアがエリサベツを訪ねたこと、エリサベツがバプテスマのヨハネを産んだことを記しています。

さて、マリアがエリサベツの家を訪れ、あいさつしたとき、エリサベツが言いました。「あなたは女の中で最も祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。」エリサベツがこんなことを言うのはおかしいです。彼女はマリアに会ったばかりで、マリアが、処女なのにみ使いのみ告げを受け、身ごもったことを知らなかったからです。当時は、通信手段がなく、知るすべがありません。二人は親類ですから、ほかの親類から聞いたと考えられないこともありませんが、婚約者のヨセフでさえひそかに離縁しようとしていたほどですから、だれにも言っていなかったでしょう。ですから、マリアが神の全能の力により神の御子を身ごもるという、何よりもすばらしいことを、エリサベツが知ったのは、41節のように「聖霊に満たされ」てのことでした。

さらに、エリサベツは43節でマリアのことを、「私の主の母」と呼んでいます。今でこそ、クリスチャンなら、マリアは神なるキリストの母だと知っていますが、当時、とんでもないことでした。というのは、「私の主」とは神ですから、神に母がある、それはマリアだなんて、当時のユダヤ人はだれも受け入れなかったでしょう。聞いたら「神を冒瀆するのか」と言ったでしょう。敬虔なエリサベツなら、なおさら受け入れられなかったでしょう。それなのに、そう言ったのは、聖霊のわざでした。これはすごいことです。これは旧約聖書にまったくない考えで、まったく新しい啓示です。エリサベツはだれも知らない新しい時代を見ていたのです。私たちは、神のひとり子がすべての人を救うために人間になられたと信じていますが、こんなことを信じられるのは、聖霊の働きです。信じられない人々が信じられるように、信じている人々が信仰を強められるように、聖霊の働きを祈りましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成