2025年9月18日(木)

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聖書一日一章    ルカの福音書 2章

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イエスはナザレに帰って両親に仕えられた。(51節)

マリヤがいいなずけの夫ヨセフとともに住民登録をするためベツレヘムに行ったときに、キリストを出産したこと、羊飼いたちがみ使いからそのことを知らされたこと、マリヤとヨセフが幼子のキリストを割礼のためにエルサレムの神殿に連れて行ったこと、そこで、敬虔な老人シメオンと女預言者アンナが幼子について預言したこと、キリストが12歳のときに、家族とともにエルサレムに行き、神殿で学者たちと論議されたことを記しています。

さて、キリストはエルサレムに行かれた後、51節には、「ナザレに帰って両親に仕えられた」とあります。私はこのことに違和感を覚えました。キリストは生まれる前からみ使いによって「救い主、主キリスト」と告げられ、生まれてからは、羊飼いや東の国の博士たちや敬虔な老人らによって救い主であることが証明されました。そして、12歳でエルサレムに行かれたときには、神殿で「教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したり」されました。ユダヤ人の中でも最高の学者たちと対等に論議することができました。普通なら、エルサレムに留まって学者の仲間入りをするか、ナザレに帰って教師として教え始めるかといったところです。今でこそ、大学を出てからでなければ教師になれませんが、昔は、才能さえあればもっと早く教師になれました。明治時代のクリスチャンで五千円札の肖像画になった津田梅子は、留学する前、6歳で小学校の代用教員になったと言われます。有名な説教者スポルジョンは、17歳で牧師になりました。それなのに、教師の中の教師キリストは、この時から30歳まで両親に仕えられたのです。

これは、キリストの並外れた謙虚さを証していると思います。神のみ子であり、だれよりも位の高い方は、だれよりも謙虚であられたのです。謙虚さはどんな学識よりもすぐれています。また、このことは、キリストに功名心や野心がなかったことを証しています。世を愛してはならないと教えられたキリストは、世に執着を一切持っておられませんでした。また、このことは、キリストが両親を心から愛しておられたことを証しています。十戒の「父母を敬え」という戒めを、形だけでなく、ほんとうに守られたのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成