2025年10月4日(土)
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聖書一日一章 ルカの福音書 18章
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人の子をむちで打ってから殺します。(33節)
キリストの、冷酷な裁判官とやもめのたとえ話、神殿に祈りに来たパリサイ人と取税人のたとえ話、幼子たちを受け入れられたこと、永遠のいのちを求めて来た金持ちの青年への応答、エリコの町で目の見えない人を見えるようにされたことを記しています。
さて、31節以下で、キリストは十二弟子を呼んで、これからエルサレムに上って行くこと、そこでご自身は殺されるが、3日目によみがえること、旧約聖書の預言が実現することにほかならないことを話されました。そのとき、「人の子は異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、唾をかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します」と言われました。嘲られ、辱められ、唾をかけられ、むちで打たれる、何とひどい目にあわれることでしょうか。人間としての尊重がまったくなく、くずのような扱いです。ならず者同士の争いなら、そんなひどいことがあっても不思議ではありませんが、およそ先生として尊敬されている部類の人々には無縁のことです。そんなひどい目に、尊い救い主はあわれるのです。
しかも、そういう目にあうことを知りながら、エルサレムへ行こうとしておられます。普通なら、迫害されることがわかっていれば、わざわざ行きません。まず、身の安全を確保します。危険を避けることは、けっして臆病でも自己保身でもありません。無駄な血を流さないためにも、良い活動を続けるためにも必要です。それなのに、キリストはあえてひどい目にあうためにエルサレムに行こうとしておられました。私たちの罪の罰の苦しみを代わりに受けるためです。私たちが赦され、罪の負い目から解放され、神に受け入れられるためです。キリストは私たちの永遠の幸せのために、そんなひどい目にあってくださいました。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
