2025年10月12日(日)
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聖書一日一章 ヨハネの福音書 2章
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わたしは、3日でそれをよみがえらせる。(19節)
ここでは、キリストがカナという町での婚礼で、水をぶどう酒に変えられたこと、エルサレムの神殿から商売人たちを追い出されたことを記しています。
さて、キリストが神殿の商売人たちを追い出されたとき、ユダヤ人の宗教指導者たちが、「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか」と尋ねました。商売人を追い出すこと自体はだれも批判できない正しいことでしたが、神殿を管理する祭司長らを差し置いてそんなことをする限りは、預言者か何かなのだろうから、そのしるしを見せてくれというわけです。それに対し、キリストは、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、3日でそれをよみがえらせる」と言われました。壮大な神殿を3日で再建するなど不可能です。宗教指導者たちも「この神殿は建てるのに46年かかった。あなたはそれを3日でよみがえらせるのか」と驚いて言いました。キリストはそれができたはずですし、それはたしかに神がともにおられるしるしです。
しかし、21節では著者のヨハネが、「イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった」という注釈を入れています。キリストの真意は、「この体を壊してみなさい。3日でよみがえってみせる」ということでした。そして、後に実際にそうされました。人の体は神殿に比べてとても小さいですが、石を積んだに過ぎない神殿を再建することに比べ、死んだ体をよみがえらせることは、比較にならないほど不可能です。キリストの復活は、神の全能の力のなせることであり、神がともにおられることの証明です。
ところで、キリストは神殿のことを言われたが、実はご自身の体のことだったと聞くと、無関係なものを無理に結びつけている印象を受けます。しかし、実は深い関係があるのです。神殿は、神がご自身を現される場所であり、人々が神を求める場所でもあり、神と人との結節点でした。キリストの体も、神が現れたものであり、人々が人間の感覚で神を知ることができるもので、神と人との結節点です。旧約時代にその役を担っていた神殿が、新約時代には、キリストの体に、そしてキリストの体と呼ばれる教会に代わったのです。
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