2025年10月16日(木)
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聖書一日一章 ヨハネの福音書 6章
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父が、天からまことのパンを与えてくださるのです。(32節)
ここでは、キリストが大勢の群衆を5つのパンと2匹の魚で満腹させ、余りを12のかごにいっぱいにされたこと、湖の上を歩かれたこと、ご自身が天から下ってきたパンで、それを食べる人、ご自身を信じる人という意味ですが、そうする人は永遠のいのちを持つと教えられたことを記しています。
さて、キリストがご自身を信じるように言われたとき、人々は、モーセは「天からのパン」、「マナ」を与えたが、「あなたはどんなしるしを与えるのか」と言いました。それを聞いて、キリストは32節で言われます。「モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。」キリストはここで二つのことを言っておられます。一つは、人々はモーセを誇りにしていて、モーセが「天からのパン」を与えたと思っていましたが、それを与えたのは神であって、モーセではありません。モーセは普通の人であって、用いられただけです。偉大な神のしもべと思えるような人がいると、私たちはその人が多くのことを成し遂げたと考え、その人ならきっと良いことをしてくれると期待します。しかし、多くのすばらしいことは、神がなされたのであって、その人は用いられただけです。私たちが期待すべきは、神です。
もう一つは、出エジプト時の「天からのパン」は、キリストが言われる「天からのまことのパン」ではないということです。それは神が奇跡によって与えられたものですが、普通の食物です。それは人々を飢えから救いましたが、肉体だけを養うものです。人々はそれを食べて元気になりましたが、ずっと元気でいることはできず、やがて老いて死にました。しかし、キリストがご自身のことを「天からのまことのパン」と言われるのは、霊的なもので、魂を元気にし、いつまでも元気でおれるようにするものです。35節では、「決して飢えることがなく、決して渇くことがない」と言われます。40節では、「永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせる」と言われます。そんな「天からのまことのパン」であるキリストが言われます。「わたしを食べなさい」、つまり、ご自身を信じなさいと。
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