2025年10月20日(月)
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聖書一日一章 ヨハネの福音書 10章
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それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。(18節)
ここでは、キリストが、神の民の牧者であること、人々の中にご自身の羊たちがいて、ご自身を知っていること、ご自身は良い牧者で彼らのためにいのちを捨てること、ほかの国の羊たちも導いて一つの群れにするビジョンを話されます。22節からは、宮きよめの祭のときにパリサイ派の人たちとの間で起こった論争です。キリストが、信じないのはご自身の羊の群れに属していないからだと言われ、彼らはキリストを石打ちにしようとします。
さて、キリストはご自身のいのちについて、18節で、「わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります」と言われます。自分から十字架につけられるように行動して、死に、復活することを言っておられます。ここで、あとのほうの「いのちを再び得る権威」、つまり死んだ後に復活する権威は、全能の神とキリストだけが持っておられる驚異の力です。キリストはその権威によって世の終わりに私たちを復活させてくださいます。
一方、「いのちを捨てる権威」は、人間でも自分のいのちを捨てることができるのですから、「権威」と言うのは大げさではないでしょうか。たしかに、人は首吊りや飛び降りで死ぬことがありますし、戦争で、死ぬつもりで突撃することがあります。しかし、私は自殺未遂の経験のある方を何人も知っていますが、皆さん、死のうと思ったが、死に切れなかったとか、必ず死ぬ方法を取ったのに死ななかったと言われます。また、戦争で、死ぬはずだったのに、生き残ってしまったという話を聞いたことがあります。人間は自分の思い通りに死ねるのではなく、神のお許しなしには死ねないように思います。
しかし、キリストだけは、神とともに人間を創造しいのちを与えた方ですから、自分からいのちを捨てる権利を持っておられ、そうする勇気も持っておられます。もちろん、良い目的のためにしか、そんなことをなさいません。キリストは、11節で言われるように「羊のためにいのちを捨て」られ、28節で言われるように「彼らに永遠のいのちを与え」るためにいのちを捨てられました。つまり、私たちのためだから、いのちを捨てられたのです。
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