2025年10月26日(日)

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聖書一日一章    ヨハネの福音書 16章

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その方が来ると、世の誤りを明らかになさいます。(8節)

キリストが最後の晩餐で話されたことの続きです。ご自身が去っていくことをはっきりと言い、それが彼らの益になることを説明されます。ご自身が去ると、代わりに聖霊が来られ、聖霊はキリストのものをすべて持っておられ、弟子たちに与えられるので、今は悲しくても、やがて喜びに満たされると。

さて、8節では、聖霊について、「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます」と言われます。この世の人々はとくに神のことで甚だ誤った考えを持っていますが、聖霊がそれを明らかにするというのは、世の人々に広く認められるようにするということではなく、ある人に働きかけ、その人がわかるようにするということです。聖霊が一人、一人と働きかけて、誤りに気づかせていかれるのです。

「罪について、義について、さばきについて」は、一つずつ説明していかれます。「罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。」聖霊は、キリストを信じなかった人に、キリストが神から遣わされた救い主であると信じさせられます。それで、それまで不遜であったと罪を悔い、赦しを求めるのです。「義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。」キリストが父なる神のみもとに行かれることは、キリストの神へのまったき愛と忠誠が認められたことのしるしです。それは、キリストの贖いが認められたことであり、信じる人が義と認められることの根拠です。聖霊は、信じる人にそのことを確信させ、自分が義と認められているという平安を持たせられるのです。「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。」「この世を支配する者」とは、悪魔のことでしょう。「さばかれた」というのは、世の終わりのさばきで悪魔が滅ぼされるのは、ずっと未来ですが、それに先立って判決が下されたということでしょう。これまで悪魔は人を人質にして、神の判決を避けてきたのですが、キリストがすべての人を解放する道を開かれたので、悪魔の決め手がなくなったのでしょう。いずれにせよ、キリストが悪魔に勝利されたのです。聖霊はキリストを信じる人にそのことを確信させ、強められるのです。

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