2025年10月27日(月)
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聖書一日一章 ヨハネの福音書 17章
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あなたのものはわたしのものです。(10節)
キリストが最後の晩餐で、弟子たちと長く話された後、父なる神に祈られた祈りです。キリストがこれから死に、復活し、天に昇ることを知った上で、残していくご自身を信じる人々のために祈られました。キリストと父なる神との対話であり、限りない相互理解の、愛にあふれた深い祈りです。
さて、キリストは10節で、「わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです」と言われます。「わたしのものはすべてあなたのもの」というのは、所有を放棄し、すべてささげるお気持ちを表しています。キリストは父なる神を尊び、信頼し、愛するあまり、ご自分の持っているものはもちろん、時間も権利も栄誉もすべて喜んでささげられるのです。私たちは、神をよく知らないときには、ささげるとそれだけ自分が失うような気がして、ささげることを躊躇します。しかし、神を知れば知るほど、神が良い方であるとわかり、神の愛情を感じ、けっして悪いようにはなさらない、ささげればもっと良い物を与えてくださると確信し、少しずつ大胆にささげることができるようになるのではないでしょうか。
しかし、後半のほうの「あなたのものはすべてわたしのもの」というのは、耳を疑うような言葉です。もし私たちがだれかにそう言われたら、何ということを言うのだ、ずうずうしいにも程があると思うのではないでしょうか。夫妻でも、自分から「私のものはすべてあなたのものです」と言うのならまだしも、相手から「あなたのものはすべて私のものです」と言われたら、なんて独占欲が強いのかと思って、離婚まで考えるかもしれません。こんなことはだれも言ってはいけないことです。そんな大それたことを、キリストは父なる神に言われるのです。父なる神の愛を一身に受け、父なる神のお気持ちが全部わかり、父なる神の「わたしのものはすべておまえのものだ」というお気持ちをいつも感じておられる神のみ子だからこそ、言えることです。キリストがそのように父なる神のものはすべてご自身のものであるような立場なので、キリストが赦すと言われれば、父なる神も赦されるし、キリストが与えると言われれば、父なる神も与えられるのです。
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