2025年10月29日(水)
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聖書一日一章 ヨハネの福音書 19章
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それはヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。(20節)
キリストについて、ローマ総督ピラトが何の罪もないと確信したのに、祭司長たちが十字架につけろと迫り、折れて十字架刑を宣告したこと、兵士たちが十字架につけ、衣を分けたこと、キリストが十字架から弟子のヨハネにマリアを母とするように言われたこと、息を引き取られたこと、アリマタヤのヨセフという人が遺体を埋葬したことを記しています。
さて、19節で、ピラトは板に罪状書きとして「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書き、十字架の上につけさせました。それはへブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれていました。ピラトが「ユダヤ人の王」と書いたのは、キリストがユダヤ人の王になりたがっていると考えてのことではありません。キリストを尋問して、地上の国のことを言っているのではないということはよくわかっていました。おそらく、自分たちの王を立てて独立したがっているユダヤ人に対し、そんなことをすれば、こんなざまになるぞという警告のつもりでしょう。しかし、その罪状書きは、奇しくも、むしろ神の摂理によって、キリストがどういう方なのかをよく表していました。つまり、旧約聖書に預言された、イスラエル人を神に導き神の祝福を受けさせる王という存在です。そして、それがヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれていたことは、これも神の摂理で、キリストの王としての存在について新しい局面を啓示していました。つまり、ユダヤなのでヘブル語で書かれるのは普通ですが、ラテン語とギリシア語で書かれていたのは、当時この二つの言語でどこの国でも通じたので、キリストがすべての国の人々の王になられることを象徴していたと言えます。
キリストは復活後、「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」と命じられましたが、使徒たちやクリスチャンたちは、ギリシア語とラテン語を使って、福音を伝えて行きました。現在でも、英語やスペイン語や中国語を話す人々は、どこに行っても話せる人がいるので、世界に目を向けやすい面があります。私たちはどうしても日本国内だけに目が行ってしまいますが、もっと世界に目を向けましょう。
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