2025年11月1日(土)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 使徒の働き 1章
_____________________________________________________________________________
あなたがたの知るところではありません。(7節)
復活されたキリストが語られたこと、天に昇られた様子、弟子たちが聖霊を求めて祈ったこと、裏切って自害したユダの代わりに十二弟子の一人としてマッティアを選んだことを記しています。
さて、復活されたキリストが現れられたとき、弟子たちは、「イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか」と尋ねました。彼らの考えは2つの点でずれていました。「イスラエルの国のために」と言っているように、未だにイスラエルの国の範囲でしか考えていませんでした。すべての国の民からなる世界的な神の国までは、考えが及びませんでした。また、「再興」と言っているように、昔のダビデの王国が再興することを考えていました。まったく新しい霊的な国までは考えが及びませんでした。
今回この箇所を読んで、弟子たちの別の考え間違いに気づきました。「国を再興してくださる」のはいつかと尋ねていますが、彼らはキリストが神の国を建てるために思案し計画し準備しておられるように思っていました。しかし、キリストは答えられました。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。」神の国がいつどんなふうに建てられるのかは、弟子たちが知らないのは当然ですが、「父がご自分の権威をもって定めておられ」ると言われるように、驚いたことに、キリストも関知しておられないのです。キリストは父なる神に一切ゆだねておられるのです。神の国のために中心的な働きをしておられるにもかかわらず、ただ、神の指示に従ってご自身の務めを果たしておられるのです。キリストのこの姿勢こそ、私たちが習うべき姿勢だと思いました。私たちは何かをするときに、もくろみ、計画し、予算を考え、必要なら組織を作り、実行するのが普通です。しかし、神の栄光を現し、神の国のために役に立ちたいと願うなら、ひとりですばらしいことはできないので、神の大きなご計画の中で、自分の小さな務めを果たさなければなりません。そのためには、神にゆだね、自分のすべきことを神に尋ね求め、神の導きに従っていくことが大切だと思いました。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
