2025年11月2日(日)
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聖書一日一章 使徒の働き 2章
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すべての人に恐れが生じた。(43節)
キリストが十字架で死なれ、復活され、その後昇天されてから、しばらくしたときに、ユダヤ人の「五旬節の祭」、ギリシア語で「ペンテコステの祭」があり、キリストの弟子たちがある家に集まっていました。すると突然、激しい風のような響きが聞こえ、メラメラとした炎が見え、その先端が弟子たち一人一人に触れると、みなが聖霊に満たされ、それぞれ別々の外国語で、キリストの救いについて語り出しました。エルサレムには外国生まれのユダヤ人が大勢いて、物音を聞きつけて集まって来たところ、弟子たちがいろいろな外国語で話すのを聞いて驚きました。そこで、ペテロが人々にこの出来事について説明しました。旧約聖書のヨエル書に預言されたことで、人々が十字架につけて殺したキリストはよみがえり、天に昇り、王座に着かれたが、そのキリストが聖霊を神から受けて注がれたのだと。人々は聖霊のことをあまり知りませんでしたが、弟子たちがまったく知らない外国語を話すのを見て、否定することはできませんでした。そして、そんな聖霊を天から注いだキリストを、自分たちが殺したということを聞いて、心を刺され、ペテロに、「私たちはどうしたらよいでしょうか」と尋ねました。それを聞いて、ペテロは、悔い改め、キリストを信じ、バプテスマを受けるようにと勧めました。その日、3千人ほどの人がバプテスマを受けました。そして、ペテロが、信じるなら聖霊を受けると言ったように、みな聖霊を受けたようです。
信じた人々が聖霊を受けたことがわかるのが、42節から47節に記されている彼らの信仰生活です。み言葉の学び、祈り、聖餐、賛美、助け合いなど、和やかな交わりが描かれています。私はここで、聖霊が働かれるときに、3つの特徴があると思いました。一つは、41節に「すべての人に恐れが生じ」とあるように、恐れです。聖霊が働かれるところでは、恐怖はないのですが、神の偉大な力と崇高さに対する畏敬の念が生じるように思います。一つは、「一切の物を共有し」、「皆に分配し」ていたのですが、それが自然にできたのは家族意識が生じたからだと思います。この家族意識は、キリストの血をいっしょに受けたことによるものでしょう。一つは、喜びと感謝です。聖霊は私たちの心に不思議な喜びを与えるのです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
