2025年11月8日(土)
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聖書一日一章 使徒の働き 8章
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金で神の賜物を手に入れようと思っているからだ。(20節)
サウロを中心人物とするエルサレムの教会に対する激しい迫害、貧しい人々への配給の世話役の一人で迫害で追われたピリポのサマリアでの働き、サマリアで信じた人々のためにエルサレム教会から派遣されたペテロとヨハネの働き、ピリポのエチオピアの高官への伝道を記しています。
さて、ピリポのサマリアでの働きによって、シモンという魔術師が信じました。彼は、ペテロとヨハネが手を置くと聖霊が下るのを見て、お金を持って来て、その権威を売ってくれるように願いました。ペテロはそれを聞いて言いました。「おまえの金は、おまえとともに滅びるがよい。金で神の賜物を手に入れようとしているからだ。この悪事を悔い改めて、主に祈れ。心に抱いた思いが赦されるかもしれない。」シモンはひどく非難されましたが、私は彼の信仰が偽りだったとは思いません。非難されて、「私のために祈ってください」と、真実な応答をしているからです。
しかし、シモンのように異教の宗教環境にどっぷり浸かってきた人は、キリストを信じても、以前の宗教的な考え方からなかなか抜け出せないものです。彼は神の賜物をお金で買えると考えました。魔術師の世界では、術を先輩の魔術師からお金で買うのが習わしだったからです。それは、偶像の宗教の、ささげ物をすれば御利益があるという考えに通じます。それは神の恵みをお金で買うようなものです。しかし、神の恵みはお金では買えません。神の恵みは、頼り求める者に神が憐れみによって与えられるものです。ささげ物は感謝のしるしに過ぎません。
また、神の賜物をお金で買うことは、いわはば神と商売の取引をすることです。偶像の宗教では、神々はそんなに高い存在ではないので、問題にはなりません。しかし、限りなく高い存在である真の神に対しては、甚だ無礼なことです。真の神は、私たちが何かを与えることができるような方ではなく、商売の取引などとんでもないことです。私たちは神の憐れみにすがるのみです。
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