2025年11月9日(日)
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聖書一日一章 使徒の働き 9章
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わたしの選びの器です。(15節)
サウロ、ここでは彼の後の名パウロを使いますが、エルサレムのクリスチャンたちへの迫害を主導していて、北隣の国の大きな町ダマスコにもクリスチャンがいることを知り、彼らも捕らえようと、部下たちとともにそこに向かいました。ところが、その町に近づいたとき、天からの光が照り渡り、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きました。「あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」と言われました。パウロは目が見えなくなり、手を引いてもらってダマスコへ行き、宿で茫然としていました。その町にアナニアというクリスチャンがいましたが、キリストが幻で、パウロの宿を訪ねるように言われました。アナニヤは恐れましたが、「あの人はわたしの名を異邦人らに伝える選びの器だ」と聞いて、そこへ行きました。そして、パウロの上に手を置くと、目から鱗が落ち、見えるようになりました。パウロはまもなく、「この方こそ神の子です」と言って、キリストのことを力強く宣べ伝えたので、その町のユダヤ人たちは困惑し、彼を殺そうとしましたが、彼は弟子たちに城壁から吊り下ろしてもらって生き延びました。パウロはエルサレムに行き、クリスチャンたちと交わり、その身に起こったことを話しました。
さて、パウロの回心は、キリストに最も激しく敵対していた者に対する大いなる憐れみのわざで、それはパウロの癒しでもあったと思いました。まず、神はキリストを通してでなければ知ることができないので、パウロは神を信じていると思っていても、実際には神を知りませんでした。神を知らない人は、地上の何かに土台を置いていて、常に不安定で、崩れることを恐れています。キリストご自身が彼に現れ、神を見させ、その不安定な土台と恐れから癒されました。次に、神を知ると、罪を自覚し、神の怒りを感じます。パウロは、キリストに敵対し、クリスチャンを迫害していたのですから、なおさらです。キリストはアナニアを遣わし、ご自身が赦し、「選びの器」とみなしておられることを伝え、神の怒りへの恐れを癒されました。それでも、犯した罪が大きいので、呵責はなかなか消えなかったでしょう。キリストが彼に宣教の重荷を与えられたのは、呵責を癒すためでもあったと思います。
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