2025年11月13日(木)
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聖書一日一章 使徒の働き 13章
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聖霊が言われた。(2節)
迫害で散らされたクリスチャンの一部がシリアの中心都市アンティオキアに行き、異邦人にも伝道したところ、多くの異邦人が信じました。そのため、エルサレムの教会は彼らを指導するためにバルナバを派遣し、バルナバはパウロをさそって、二人でそこへ行き、教えていました。そんなアンティオキア教会で、礼拝しているとき、聖霊が、バルナバとサウロを宣教に派遣するように示されました。そこで二人は送り出され、キプロス島で伝道した後、現在のトルコの小アジアに渡り、出発した町と同じ名のアンティオキアに行きました。そこのユダヤ人の会堂で、パウロが、イスラエルの歴史を通しての救い主の約束、バプテスマのヨハネの証言、キリストの死と復活、信じる者が義と認められることを話しました。信じた人もありましたが、二人は反対するユダヤ人にその町から追い出されました。
さて、2節には、「聖霊が『さあ、バルナバとパウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい』と言われた」とあります。ここで聖霊が「言われた」とは、どのように言われたのでしょうか。天から声が聞こえたのでしょうか。それなら、著者のルカはルカの福音書3章22節と同じように「天から声がした」と書いたでしょう。天からの声でないなら、1節に、教会には幾人かの「預言者や教師がいた」とあるので、そのうちのだれかを通して言われたと考えるのが妥当でしょう。聖霊は一人一人の心に語られますが、このような重要なことは、神が立てられた預言者を通して語られたのです。
私たちも聖霊の導きに従いたいと願っていることは同じです。現在でも預言の賜物はあるでしょうから、身近かに預言者がいれば、その言葉に従うだけです。しかし、現在、真の預言者と認められる人はほとんどいません。それではどうすればよいのでしょうか。アンティオキア教会で、たしかに預言者を通して語られましたが、パウロとバルナバ本人もまた教会の人々も、ほんとうに主が語られたと思い、心から受け入れたことが重要だと思います。つまり、教会に預言者がいなくても、本人と教会の祈り深い人々が、ほんとうに主のみ心だと思うなら、聖霊の導きとみなしてもよいと思います。
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