2025年11月17日(月)
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聖書一日一章 使徒の働き 17章
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「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言った。(18節)
パウロらは、第二次伝道旅行で、ギリシアの北のマケドニアに行き、その州都テサロニケに行きました。ユダヤ人の会堂で伝道し、大勢の人が信じましたが、反対する人たちが暴動を起こしたので、近くのベレアという町に逃れ、そこでは快く受け入れられましたが、テサロニケの反対者たちが追いかけて来たので、ずっと南のアテネに逃れました。そこの広場やアレオパゴスという丘でたむろしている人々に、唯一の神とキリストのことを話しました。
さて、パウロが話していると、エピクロス派とストア派というギリシア哲学の二大流派の人々が言いました。「このおしゃべりは、何が言いたいのか」、あるいは、「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と。パウロが創造主なる神と人間の罪とさばきと救い主キリストのことを話しても、多くの偶像の中で暮らし、偶像の神々しか知らない人々は、何が言いたいのかさっぱりわかりませんでした。私たちの国も同じように偶像がそこかしこに祭られている国です。そのような環境では、人々はいろいろな霊が存在するぐらいまでは信じられても、世界を創造されるような神が現実に存在するとは信じられないのです。そのため、罪もさばきも救いも無意味になってしまいます。人々が世界を創造される神を信じるためには、どんなに論じてもだめで、神ご自身にみわざで証明していただくしかありません。私たちはただ祈るのみです。
また、パウロが人々の救いのために話しても、多くの偶像の宗教のことを聞いている人々には、他国の宗教の宣伝にしか聞こえませんでした。私たちの国でも同じです。私たちは人々のために伝道しますが、キリスト教の宣伝と受け取られることが少なくありません。私たちは、どう受け取られようと、気にせず、誠意を尽くして伝道するだけで、そうすれば、きっといつか聖霊が働かれ、そんな誤解を吹き飛ばしてくださるでしょう。しかし、私たちは、ほんとうにその人のために伝道しているでしょうか。自分のための動機はないでしょうか。信仰の話のできる友だちが欲しいとか、教会に来る人を増やしたいとか、身近な人がクリスチャンになって気持ちのよい人になってほしいとか。聖霊のお働きを妨げないためにも、そのような動機は捨てましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
