2025年11月20日(木)
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聖書一日一章 使徒の働き 20章
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涙とともに主に仕えてきました。(19節)
パウロは、第三次伝道旅行では、エペソに腰をすえ、2年3ヶ月伝道しましたが、暴動のためにそこを出、マケドニアとギリシアの、前の旅行で伝道した町々を訪ねた上で、エルサレムに向かいました。その途中、エペソの近くを通りかかったので、エペソの長老たちを呼び、自分がどのように仕えてきたかを話し、力を尽くしてクリスチャンたちを指導するように励ましました。
さて、パウロは19節で、「謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました」と言い、31節でも、「涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきた」と言います。パウロは涙を流して仕えてきたと言うのですが、その涙は何の涙でしょうか。私たちは惨めなときに涙を流しますが、たしかにパウロは敵対するユダヤ人たちに何度も襲われ、暴行を受けたようで、しかも、反撃せず、「謙遜の限りを尽くし」、されるままに任せたようですから、惨めで涙が出てもおかしくありません。それもあったでしょうが、それ以上に、その敵対するユダヤ人たちに対する悲しみの涙だったのではないかと思います。彼らは神から特別に恵みを受けた民で、救い主の預言を聞いていて、救い主が現れたときには真っ先に迎えるべき人々です。そんな人々が救い主に敵対していることは、自身もユダヤ人で、同胞を熱く愛しているパウロにとっては、とても悲しいことでした。それは同胞への愛情の裏返しでした。
それは31節も同じです。パウロがエペソにいた足掛け3年の間、人々に訓戒し続けてきたのですが、涙なしにはできなかったと言うのです。その人が求道者なら、その人のうちに働く悪魔の信じさせまいとする力と、それによって起こるその人の内なる抵抗と戦わなければならなかったでしょう。すでに信じている人でも、聖霊に反抗する肉なる性質がありますから、キリストへの全き従順を勧めると、反発するという具合に霊的な戦いがあったに違いありません。もっとも、突き放してしまえば、そんな戦いもありません。その戦いはその人を熱く愛していればのことで、パウロの涙はやはり愛情からの涙だと言えます。パウロとは比較にならないほど熱い愛情を持っておられるキリストは、私たちを愛してどれほど涙を流してこられたことでしょうか。
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