2025年11月26日(水)
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聖書一日一章 使徒の働き 26章
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私は天からの幻に背かなかった。(19節)
パウロはカイザリアのローマ総督府で裁判を受けていて、2年間も拘留されていました。そのうち、新しい総督のフェストゥスが赴任すると、ユダヤの宗教指導者たちがパウロを訴えるために来ましたが、彼の身柄をエルサレムに移して暗殺する腹づもりだとわかったので、パウロはローマ皇帝に上訴しました。ローマに移送されるまでの間に、ヘロデ大王のひ孫でガリラヤ領主のアグリッパ王とその妹ベルニケが表敬訪問に来たので、フェストゥスはいっしょにパウロの話を聞くことにしました。パウロは、ユダヤの伝統に忠実だった自分が、なぜキリストを信じるようになったのかを話しました。
さて、パウロは19節で、「私は天からの幻に背かず、すべての人に、悔い改めて神に立ち返り、ふさわしい行いをするように宣べ伝えてきました」と言います。ここで言う「天からの幻」とは、13節から18節にある、まばゆい光、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」、「わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす」という声です。この幻がパウロの信仰と宣教の土台と動機になっていました。
それでは、私たちの信仰と奉仕の土台は何でしょうか。もし、尊敬するAさんがクリスチャンで信仰を勧めてくれたとか、あの伝道者の迫力あるメッセージに感動したとか、自分の家がキリスト教だったとか、そういう人間的なことが土台なら、いつか崩れるでしょう。やはり、私たちの信仰と奉仕が揺るがないためには、天からの土台がなくてはなりません。とはいえ、私たちは、天からの幻を見ることはまずないでしょう。私たちはどんな天からの土台を持つことができるでしょうか。まず、聖書の言葉は天からの言葉です。預言者たちや使徒たちが聖霊によって語った言葉です。次に、信仰をしていると、天からの奇跡を経験します。奇跡的に与えられた、奇跡的に助かった、奇跡的に出会ったといったことがあります。もしないなら、身の回わりの出来事にもっと注意しましょう。きっとあると思います。また、自分の内におられる聖霊が心にささやく声も天からのものです。耳を傾けましょう。
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