2025年11月27日(木)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    使徒の働き 27章

_____________________________________________________________________________

パンを取り、それを裂いて食べ始めた。(35節)

パウロは、カイザリアのローマ総督府に監禁されていましたが、暗殺されそうになり、ローマ皇帝に上訴したところ、船でローマに移送されました。その船が途中で嵐に巻き込まれ、2週間も暴風と波に翻弄され、人々が助かる望みを失ってしまったとき、パウロは神から、全員が助かるという言葉を受けました。その言葉通り、船はマルタ島に漂着し、全員が助かりました。

さて、陸地に近いことがわかり、希望が見えたその夜明け、パウロは、一同が2週間何も食べていないことを気遣い、食事を勧めました。35節には、「彼はパンを取り、一同の前で神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた」とあります。聖餐式そっくりです。私は、パウロが聖餐式のつもりでこのことをしたと思います。肉体のいのちになるパンを分けることは、キリストの霊的ないのちを分ける聖餐式と深いつながりがあるからです。

聖餐式で、パンはキリストのからだの象徴であり、永遠のいのちの象徴であり、パンを食べるとき、キリストが永遠のいのちを分け与えてくださっていることを覚えます。しかも、そのキリストのからだは、十字架で引き裂かれたもの、いのちは十字架でささげられたものです。キリストは自らのからだを裂いて私たちに分け与え、自らのいのちをささげて、分け与えてくださっているのです。私たちは聖餐式において、つくづくそのことを思います。

かたや、パウロの船の中でのパン裂きの場合、ほかの人はキリストを信じていませんから、永遠のいのちを受けていませんし、永遠のいのちの意味もわからなかったでしょう。しかし、彼らに一つのことははっきりわかったと思います。人々が助かる望みを失い、死を覚悟していたとき、パウロが神から、全員助かるという言葉を受けました。そして、その夜、陸地に近づいていることがわかりました。人々はいのちを神に与えられたと感じたでしょう。パウロがパンを取り、与えられたいのちに感謝して、人々に食べさせたとき、人々は神からいのちのつもりでそれを食べたでしょう。私たちのいのちは、元々神から分け与えられたものです。そのことを証しましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成