2025年11月29日(土)

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聖書一日一章    ローマ人への手紙 1章

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私は負い目のある者です。(14節)

パウロがローマのクリスチャンたちに書いた手紙です。この章では、自己紹介、ローマのクリスチャンたちに会いたい気持ち、この手紙で書こうとしている趣旨、人類の不敬虔と神の怒り、人類の腐敗などを書いています。

さて、パウロは14節で、「私は、ギリシャ人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です」と言います。パウロは世界のすべての人に負い目があると言うのですが、どんな負い目でしょうか。

パウロは昔、エルサレムのクリスチャンたちを激しく迫害しましたから、その人々には負い目があったでしょう。この手紙の15章で、エルサレムの貧しいクリスチャンたちのための異邦人の諸教会からの献金に触れていますが、それを呼びかけたのは、その負い目を返したいという思いからでしょう。

とはいえ、パウロが迫害するに至った敵意はクリスチャンたちにではなく、キリストに対してでした。そのキリストが生きておられ、彼が思っていたような誤った教えを広めた人ではなく、神が人類の救いのために遣わされたみ子で、すべての人の身代わりに死なれたと知ったのです。身代わりに死なれただけでも負い目があるのに、その人を迫害したのですからなおさらです。

パウロはその負い目を、当然返したかったでしょう。どのように返すことができるでしょうか。使徒の働き9章15節では、キリストがパウロについて言われました。「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」キリストは彼が負い目をご自身の名をすべての人に伝えることによって、またそのために苦しむことによって返すように言われたのです。それが、すべての人に負い目があるの意味でしょう。私たちは迫害はしていませんが、キリストが代わりに死んでくださったことで負い目があります。キリストはその負い目を自分の使命のために苦労することで返すように願っておられると思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成