2025年11月30日(日)
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聖書一日一章 ローマ人への手紙 2章
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神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導く。(4節)
パウロは、異邦人の道徳的に腐敗した実態を述べましたが、ここでは、ユダヤ人に対して、その罪を指摘します。ユダヤ人は、神の言葉、とくにそれからの生活規範である律法を持っていることを誇りとしていましたが、神のさばきには耐えられないことを示します。1節で、「すべて他人をさばく者よ、あなたに弁解の余地はありません。あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています。さばくあなたが同じことを行っているからです」と言い、異邦人を見下すユダヤ人に警告します。23節では、「律法を誇りとするあなたは、律法に違反することで、神を侮っているのです」とまで言います。29節では、「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです」と言い、「御霊による心の割礼」つまり聖霊による新しい生まれ変わりをして、神に従順な真の神の民になることを願います。
さて、4節では、「神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導く」と言います。悔い改めと言うと、説教によって、間違った生き方と罪を示され、それが自分の不幸の原因だと悟り、また死後のさばきのことを聞いて恐れ、悔いて、信仰的に生きる決心をすることのように思います。実際、昔から有名な伝道者は、罪のことと神のさばきのことを厳しく語ってきました。そして、多くの人が、いても立ってもいられないような気持ちになって、罪を告白し、信仰的に生きる決心をしました。人がキリストを信じる上で、そういう決心はとても必要だと思います。しかし、同時に、多くの人は、その時点ではまだほんとうの悔い改めには至っていないのではないかとも思います。というのは、罪を責められ、不幸の原因だとわかり、このままではだめだと思って決心したので、いわば自分にとっての損得で決めたので、自分の内から、つまり心の底から悪いと思ったわけではないからです。やはり、信仰生活の中で、神のいつくしみ深さを感じるようになって、こんなに良い神に対して自分はなんと醜いのだろう、こんなに良くしてくださるのに、自分はいつも裏切っている、ほんとうに申しわけない、という悔いが生じるのではないでしょうか。人を心の底から変えるのは、神のいつくしみ深さでしょう。
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