2025年12月3日(水)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 ローマ人への手紙 5章
_____________________________________________________________________________
一人の違反によって多くの人が死んだ。(15節)
パウロは、前半では、信仰によって義と認められることの幸いを語り、後半では、アダムの不従順によって罪と死が全人類に広がったこと、それとは対照的にキリストの従順によって多くの人が義と認められることを語ります。
さて、パウロは後半で、一人の人によって全人類が惨禍にみまわれたことを強調しています。「一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入った。」(12節)「一人の違反によって多くの人が死んだ。」(15節)「一人の違反により、死が支配するようになった。」(17節)「一人の違反によってすべての人が不義に定められた。」(18節)「一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされた。」(19節)これは、先祖から子孫に、良いものも悪いものも伝わっていく流れによることです。先祖から子孫に、体の特徴が伝わっていくように、罪深い性質も伝わっていきます。
それにしても、たった一人の過失によって全人類が不幸になるというのは、あまりにも残念すぎます。人間を造り、親から子へ、子から孫へ増殖していくシステムを設計された神は、そのような弱点を予想されなかったのでしょうか。たしかにここまでだと、この世界はあまりにも悲しいし、こんな世界を造られた神は冷酷だと言わざるをえません。しかし、そんなことはありません。神は最初からそういう場合のために救済策を考えておられました。ひとり子キリストによって救うことです。「神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、なおいっそう、多くの人に満ちあふれるのです。」「なおさらのこと、恵みと義の賜物をあふれるばかりに受けている人たちは、一人の人イエス・キリストにより、支配するようになる。」キリストによって、彼以前の人も以後の人も、恵みに満ちあふれるようになるというのです。
このキリストの恵みについて、「なおいっそう」とか「なおさらのこと」と言われていることに注意しましょう。キリストを信じることによって受ける恵みは、アダムの過失によって受けた不幸を埋め合わせするどころか、「なおいっそう」すばらしいもので、余りあるものです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
