2025年12月10日(水)

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聖書一日一章    ローマ人への手紙 12章

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勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。(11節)

パウロはこれまで、キリストを信じて義と認められること、つまり救いについて述べてきましたが、ここからは義と認められた者の行いと生活の指針を述べます。この章では、自分を神にささげること、自分に与えられた賜物を用いて働くこと、互いに愛し合うこと、復讐をやめることを勧めます。

さて、11節では、「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい」と言います。「勤勉」と言っても、お金や成功のために勤勉に働く人は多いですが、ここで勧めているのは、主に仕える上での勤勉さです。だとすると、主に仕えるとはどんなことでしょうか。まず、主を礼拝することでしょう。私たちは個人で礼拝することもあれば、教会で礼拝することもありますが、理想は生きることすべてが礼拝になることでしょう。また、伝道することや伝道のわざに協力することも主に仕えることでしょう。また、10節で「互いに愛し合いなさい」と言いますが、互いに愛し合うことも主に仕えることでしょう。そんなあらゆる意味で勤勉に主に仕えるように勧めるのです。

私たちは、そのように勤勉に主に仕えておられるクリスチャンたちを知っています。そういうクリスチャンによって、愛されることを知り、神を信じるようになった方もおられるでしょう。しかし、自分がそんなふうに勤勉に主に仕えるようにと言われたら、とてもできないと思われるのではないでしょうか。自分が生きていくのも大変で、そんな余裕はないと思われるかもしれません。余裕があっても信仰が足りず、できないと思われるかもしれません。

しかし、パウロがここで勧めていることはしなければならないことではありません。パウロ自身が口酸っぱく言ってきたように、人は行いによっては義と認められず、キリストを信じる信仰によって義と認められるのです。ですから、勤勉に主に仕える必要は少しもないのです。また、私たちはパウロが「霊に燃え」と言っていることを見落としてはなりません。つまり、聖霊に燃やされ、動かされて、ということです。頑張る必要はないのですが、聖霊が動かされたら、自分のものではない力によって、動き出すかもしれません。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成