2025年12月13日(土)
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聖書一日一章 ローマ人への手紙 15章
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私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきである。
(1節)
1節では、「私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません」と言います。力のある人は、自分の力を見せつけていい気になりたいものですが、力のない人を顧みる優しさを持つことが大切だというのです。このことは多くの人が認めるでしょうが、実際には難しいことです。しかし、神を知っている人は、自分に何かの力があれば、神から預かったものだから、自分のためだけに使ってはいけないし、力のない人に分け与えるのが当然だと考えます。
ところで、「力のある者」のことを、「私たち」そういう者はと言っています。パウロが自分のことを「力のある者」と言うのはよくわかりますが、この手紙を読む人々の中には、力のない人もいるはずです。そんな人たちまで含めて「私たち」と言うのは、どうでしょうか。そんなふうに違和感を感じていましたが、常識的な意味で「力ある者」ととるからだと気づきました。キリストがマタイの福音書21章で、だれでも信じて疑わず、山に「立ち上がって、海に入れ」と言えば、その通りになると言われるように、だれでも信仰と祈りによって神の力を受け、山を動かす「力ある者」になれるのです。
2節では、「霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです」と言います。私たちは、パウロから、力のない人たちの弱さを担うべきで、自分を喜ばせるべきではないと聞くと、何か手助けをしてあげなければならないと思います。それは必要なことでしょう。しかし、パウロは、その人の「霊的な成長」に役立つことをして喜ばせるようにと言います。たしかに、困っているときに助けてもらうことはうれしいことですが、信仰において成長し、心が満たされることはそれ以上にうれしいことでしょう。さらに、信仰において成長すれば、神の力を受けることができるようになり、力のある人になり、助けることができるようになります。助けてもらうより、それのほうがはるかにまさっています。人が信仰的に成長し、力のある人になって、いつも喜んでいることができるように祈りましょう。
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