2025年12月15日(月)

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聖書一日一章    コリント人への手紙第一 1章

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宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救われる。(21節)

パウロがギリシャのコリントという町のクリスチャンたちに書いた手紙です。パウロは第2次伝道旅行でコリントに行き、腰を据えて伝道したので、多くの人が救われましたが、この手紙は、次の伝道旅行のときに、エペソからいろいろな相談に答えて書いたものです。ここでは、「パウロ派」や「アポロ派」などに分かれていたクリスチャンたちに、一致するように勧め、また、知恵を誇るところがあったので、人間の知恵は人を救うことができず、愚かに見えるキリストの十字架こそ人を救う神の知恵だと教えます。

さて、21節では、「神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされた」と言います。「宣教のことばの愚かさ」というわかりにくい言葉の意味は、パウロが宣教しているキリストの救いの道は、この世の知恵ある人々には愚かに見えるということです。それは現在も同じです。高い学識を持つ人々は、キリストの教えを一つの宗教とか一つの伝統とは見ても、本気でその教えを求めようとはしませんし、神を信じる人々を非理性的だとみなす傾向があります。もちろん、敬虔なクリスチャンの学者もおられますが、わずかですし、学界を動かすほどの影響力はないように見受けられます。

しかし、神はそんな、この世の知恵ある人々には愚かに見える救いの道によって、人を救われます。これは神のいつものなさり方です。神はご自身の知恵や力のすごさを知らせるために、敢えて、弱い人や知恵のない人を用いられます。ギデオンに、ミディアン人を撃退させるのに、集まった兵3万2千人ではなく、3百人で戦わせられました。また、少年ダビデを完全武装した大男ゴリアテに向かわせ勝たせられました。神は愚かに見える救いの道によって人々を救い、ご自身の知恵のすごさを知らしめられるのです。

ですから、26節で言います。「自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはありません。しかし、神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。」

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