2025年12月18日(木)
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聖書一日一章 コリント人への手紙第一 4章
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王様になっています。(8節)
パウロはここでは、自分は神から「神の奥義の管理者」に任じられていること、コリントのクリスチャンたちが思い上がっていること、諭すためにテモテを送ったこと、自分が行くかもしれないことを書いています。
さて、パウロは8節で、「あなたがたは、もう満ち足りています。私たち抜きで王様になっています」と言います。パウロはコリントのクリスチャンたちの姿を「王様」という言葉で表現しています。それには、頂点に立っているので、だれの言うことも聞かないということと、贅沢な生活をしているということを含めているのでしょう。コリントのクリスチャンたちは、コリントの町が港町で、交易で栄えていて、贅沢な生活をしていましたが、そのため思い上がったのでしょう。しかし、パウロの言うことを聞かないことは、「神の奥義の管理者」の言うことを聞かないことで、深刻な問題でした。
このような「王様」になろうとすることは、人間の根源的な問題と言えます。人間の始祖アダムとエバは、神に愛されていて、自由を与えられていましたが、神には従わなければなりませんでした。それなのに蛇から「この木の実を食べると、神のようになる」と聞いて、神のようになりたいと思い、その実を食べました。つまり、だれにも従わなくてよい「王様」になろうとしたのです。キリストのたとえ話の放蕩息子も、裕福な家で悠々と生活していましたが、家の主人であるお父さんには従わなければなりませんでした。彼が家を出たのは、だれにも従わなくてよい「王様」になりたかったからでしょう。神に従うことを嫌い、「王様」になりたい人間の姿を表しています。
しかし、「王様」であることは決して幸せではありません。それは歴史上の多くの王様の経験からわかります。まず、責任が重く、そのプレッシャーに押しつぶされそうになります。次に、だれとも親しい関係になることができず、ひとりぼっちです。また、部下や護衛はたくさんいますが、自分をゆだねることができるより大きな存在がありません。「王様」でいるより、本当の王であるキリストを王として認め、従うほうが、はるかに幸せです。
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