2025年12月21日(日)
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聖書一日一章 コリント人への手紙第一 7章
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未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を
配ります。(34節)
パウロはここでは、結婚に関わるいろいろなことについて述べています。ただ、キリストの再臨が迫っていると予想していたので、世のことにかかわらず、ひたすらキリストに仕えるのが良いと考えていて、結婚も、しないに越したことはないが、事情が許さないなら、してもよいというスタンスです。それから2千年近く再臨が延ばされ、時期を予想できない現在のクリスチャンにとっては、結婚にもっと積極的な意味があると思います。
さて、34節では、「結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配」るのに対し、「未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配ります」と言います。おそらく、昔は、未婚の女性は、外で仕事をすることがなく、世のことにかかわることもなく、もっぱら家で家族に仕えながら、結婚の準備をするのが普通だったので、愛することや家族に仕える気持ちがはぐくまれたのではないかと思います。そのため、昔から、キリストを主とする未婚の女性が、キリストを愛し、身をささげて仕えてきました。
そのことを考えると、神のみ子が地上に人間としてお生まれになるのに、未婚のマリアを用いられたのは、とても自然に思えます。マリアは幼い時から天の主を愛し、身をささげてきたことでしょう。ルカの福音書1章のマリアの賛歌を読むと、そのことが伺えます。赤ちゃんがお腹に宿った時からは、その赤ちゃんを主と信じて、愛し、仕えたのでしょう。
私たちは、未婚の女性でなくても、少しでも「身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配」るようでありたいと思います。
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